影向寺の歴史と文化財 を尋ねて(その2)(野川)


 ≪承前≫
5.栄興寺から養光寺へ

 聖武天皇が夢の中で僧から告げられた霊石は、加藤住職のお話では、三重塔の支柱の心礎として使用された石という。夢の中の僧は「その石にはいつも聖なる水が湛えられており」と天皇に告げたが、その実、塔の支柱を支えるために穿たれた窪みに、水が溜まっていたということであろう。ということは、霊石は野晒しになっていたということを示す。つまり三重塔が、天災か人災か不明だが、何らかの事由で破壊され、寺「栄興寺」は荒廃していたと想定される。それが、本紙前16号で述べた経緯により、聖武天皇の勅命で「養光寺」として復興されたと考えられる。寺名は、その復興により光明皇后の眼病が平癒したことに由来する。
 聖武天皇が国情不安を鎮撫するため、全国各地に国分寺(正式名称は金光明四天王護国之寺)、国分尼寺(法華滅罪之寺)の建立を命じたのは天平13(741)年あり、養光寺はそれに先立つ創建。国分寺及び国分尼寺建立の全国展開は等しく、大和朝廷の支配権拡大のツール、日本武尊東征の頃は武力による国の平定を強行したのに比べ、聖武天皇は仏教の信仰によって国家の安定を目指した。

雪の日、薬師堂

雪の日、薬師堂

6.養光寺から影向寺へ
 当寺が「養光寺」から「影向寺」へ寺名を改めたのは、いつで、どういう事由
があったのか、住職にお尋ねしたところ、次のようなお話であった。
 「江戸時代初め頃の万治年間に、当寺の薬師堂が火を蒙ると、本尊薬師如来は自ら堂を出でて、この石の上に難を逃れたと伝えられています」と住職は、「『新編武蔵風土記稿』中「野川村影向寺の項」に、そのときの火災の記録が、《万治年中回禄の時、本尊堂前の石上にとどまりてより、今の如くに影向寺に書き改め云々》と記されています。薬師如来が石の上に逃れて火災から免れたのは、この石に神仏が憑依(ひょうい)していることによる。これにより影向石とされ、寺名が影向寺に改められました」
 なお、『新編武蔵風土記稿』中の「万治」は1660年の前後4年間の年号、「回禄」とは火の神の名で、転じて火災のことをいう。

7.影向石の霊水伝説
 住職に、境内の一角にある影向石まで御案内いただいた。影向石は上辺が2㍍程の巨大な石で、上辺中央に窪みがあり、水が溜まっている。その霊水で洗うと眼病が治癒すると伝えられている。かつて往古、聖武天皇の勅命により高僧行基を当地に派遣して、霊石に祈願させたところ、光明皇后の眼病が治癒したことに由来するのであろうか。
 と思ったところで、影向石の傍らにある石碑が目に入る。「影向石碑」とある。

雪の影向石

雪の影向石

 その碑文には、影向石の窪みには常に清泉が満ち、その水を飲んだところ、医薬や医術を尽くすも埒(らち)が明かず多年患っていた眼病が治癒、その神霊の威徳に感謝する旨、刻されている。石碑は延亨3(1750)年に建立、建立者は和泉国の森本宜直とある。
 森本宜直とはいかなる人物か。石碑には、東都法眼桂川先生門人とある。即ち江戸の医術師・桂川甫筑の門人と。その桂川甫筑は桂川流外科の初代、江戸幕府の奥医師を勤めたほどの名医で、オランダ流の外科医として活躍、法眼に任じられ、石碑建立の翌年、87歳で逝去。その桂川の門人で、医術師でありオランダ医学にも通じていた森本が影向石の霊水によって眼病を癒したという。影向石が如何に信仰されていたかを物語る。

8.薬師三尊像
 影向寺の霊力によって焼失を免れた本尊薬師如来は現在、収蔵庫に安置。  
 「本尊を拝見させていただけますか?」と住職に申し出たが、「常時公開はしておりません」とのお答え。「拝見できる機会は?」と重ねて尋ねると、「8月5日の施餓鬼会、11月3日の御縁日に、御覧いただけます」と住職から、加えて「12年毎の寅年には、4月の7日間、稲毛7薬師寺の本尊を公開しております。稲毛7薬師寺は当寺のほか、宮前区ではほかに土橋の正福寺があり、そのほか新作の薬師院、高田の興禅寺と塩谷寺、鶴見の光明寺、港北区の西光院があります」とのお話。 「薬師三尊像等の収蔵庫は頑丈な造りです。防火対策ですね?」と尋ねると、「薬師三尊像は重要文化財の指定を受けています。文化財保護法により、防火・盗難対策について規定されています。以前は、薬師三尊像は薬師堂に安置していたのですが、現在は規定に基づき、収蔵庫に保管しています。近年、全国各地で仏像盗難のニュースがよく聞かれますし、厳重な保管が肝要ですね」とのお話。

霊水を湛える影向石

霊水を湛える影向石

 「御苦労されますね。ところで、収蔵庫の前に、国宝指定に向けての署名を募る旨の掲示板がありましたが、薬師三尊像は国宝ではないのですか?」
 「明治33(1990)年に国宝の指定を受けたのですが、昭和25年施行の文化財保護法により国宝指定を外され、重要文化財の指定に変わりました。薬師三尊像は国宝に値いしますので、国宝指定復活運動の署名を募っています」と住職のお話。
 住職と応接する傍らの棚に置かれた署名簿を拝見すると、数多の方々の国宝指定要請の署名があり、私もその末尾に署名した。

 突然の訪問取材、私の長居にもかかわらず、住職に快く応対していただき、「またいつでもおいでください」と仰っていただき、礼を述べて辞した。
 次号では、施餓鬼会や御縁日で拝見した薬師三尊像等について紹介します。        (文・坪井喬)

宮前の風17号・2014.4 文・坪井喬)

【注意】掲載記事は、取材時のもので内容がかわっている場合があります。