影向寺の歴史と文化財 を尋ねて(その3)(野川)


≪承 前≫
9.施餓鬼会
 その年は2009年8月5日の施餓鬼会(せがきえ)に御本尊は御開帳されると加藤住職から伺った。その施餓鬼会とは施食会ともいい、仏教各宗派を通じて行われる年中行事。施餓鬼会の由来は「救抜焔口施餓陀羅経」による。その御経によれば、釈尊の十大弟子の一人・阿難尊者が瞑想しているとき、口から火を吹く餓鬼が現れ、「お前は3日後に死んで、我々と同じ餓鬼道に落ちるだろう」と予言。恐れおののく阿難尊者は「どうしたら餓鬼道に落ちるのを免れられましょうか?」と餓鬼に尋ねた。するとその餓鬼は、「餓鬼道に落ちるのを免れるには、三宝(仏、法、僧)を供養しなさい。また、無数の餓鬼達に食物を施して供養しなさい。そうすれば餓鬼は救われ、その功徳によりお前は救われるだろう」と答えて姿を暗ます。阿難尊者は以上の経緯を述べて、釈尊に教えを請うた。釈尊がその求めに応じて示された修法が施餓鬼会の始まり。それが敷衍され、餓鬼だけでなく、先祖代々そして遍く無縁の諸精霊を供養する、また我々自身の福徳延寿を願うことも。とこう今日に定着。施餓鬼会の期日は定められておらず、それぞれのお寺が年中行事の一つとして、それぞれを決める。施餓鬼棚に「三界万霊牌」を置き、浄水や食物を供え、五如来の「施餓鬼幟」を立てて法要を営む。施餓鬼会は、新亡の霊や先祖代々の精霊を供養するだけでなく、無縁仏や餓鬼に施しをする法要でもある。併せて、日頃自分自身に巣食う餓鬼の心を反省し、自他ともに生かされている身をしっかりと受け止め、救われる功徳を皆が積むことの大切さを深く胸に刻む。
 施餓鬼会は今日、お盆の前後に行われることが多い。先祖追福のため、また一切の生きとし生けるものの霊を慰め、重ねて自分自身の福徳延寿を願う法要だ。

10.本尊等御開帳
 さて、施餓鬼会のその日、影向寺の正門を潜り境内へ。本堂の前面の扉は、これまで何度か訪ねて来ても、いつも閉まっていたのが、当日は開いていて、堂内に灯る明かりが臨まれる。本堂の前でお参りをして中を覗くと、明かりの中に本尊が拝まれる。本堂内に上がって間近に拝見したいと思うが、堂内には入れない。私の傍らでお参りしていた方も本堂内には上がらずに辞して本堂の脇から裏手へと姿を消した。ふと、本堂内に上がる敷居の手前に、「本尊は本堂の後ろの収蔵庫で、御開帳しておりますので、御覧ください」との旨の掲示板が、目に止まる。
 御本尊が収蔵庫に保管されていることは、前回訪問の折り、加藤住職から伺っていた。そういえばその時、本堂に安置されているのはレプリカと伺った。火難・盗難防止の理由で。併せてその折り、長野の善光寺では、その年の4月5日から5月31日まで、7年に一度の御本尊御開帳がなされたが、同じ理由でその御本尊もレプリカであるということも。
 本堂の裏手に回り、収蔵庫の前へ。既に4人の方々が収蔵庫の前におり御開帳された御本尊を拝観。4人の方々は熱心に祈り、いつかな辞す気配がない。

影向寺-宮前区野川

11.木造薬師如来両脇侍像(国指定重要文化財)
 4人が辞し、漸く私の拝観する順番。拝観の位置まで10段の階段を上がる。中尊の薬師如来は、薬師瑠璃光如来、大医王仏ともいい、衆生の病苦を救い内面の苦悩を除くなど12の誓願をたてた如来(修行により悟りを開いた覚者)。
 薬師如来像は、左手に薬壺をのせ、右手は施無畏(せむい)印を結び、結跏趺坐(けっかふざ)している。像高は139㎝、欅材の一木造りで、制作は11世紀後半。往時は金箔が施されていたと思われるが、現状は素地を露わに。頭部に髪を刻み、面長の面相に切れ長の両眼を刻み、一種卵形のモデリングに特徴がある。身躯は幅と奥行を十分にとって、がっしりとしている。
 両脇侍像は、左脇侍の日光菩薩と右脇侍の月光菩薩で、薬師如来の浄土である東方瑠璃光世界の主要な菩薩、と『薬師経』に。日光菩薩は、一千もの光明を発して諸々の苦しみの根源・無明の闇を滅尽する。月光菩薩は、月の光を象徴する菩薩。両菩薩は薬師如来の教説を守るのが役割。ほぼ同形だが、日光菩薩は薬師如来側に右腕を上げ左腕を垂らし、月光菩薩は左腕を上げて右腕を垂らした姿形で、対称的に造形。いずれも像高は171㎝、桜材の一木造りだ。肉付けや衣文は中尊に比べると、穏やかな造形。制作時期は中尊と異なり12世紀後半頃。両脇侍像を仔細に見比べると、面相部の目鼻立ち、髪の形、条帛のカーブ、膝にかかる天衣の位置や衣丈の形式などに違いがある。

12.月光仮面のモデルは月光菩薩
 余談だが、かつて一世を風靡した人気レビドラマ「月光仮面」のモデルが月光菩薩であることは、知る人ぞ知る。「月光仮面」は1958年から1959年にかけて放映。白装束にサングラス、赤いマントの“生身”のヒーローは、視聴率40%、《放映時間になると銭湯から子供が消えた》というエピソードが生まれた程の爆発的人気を博した。それから半世紀ほどを経て近年、「月光仮面」のDVDが発売されて人気が再燃。この機会に検証したのは、「月光仮面」が他の特撮物と決定的に異なり、変身しないこと、常に生身の身体で敵と戦うこと。「月光菩薩の慈悲は、民族、宗教の区別なく救いの手を差し伸べる。そういう存在を描きたかった」と述べる原作者の川内康範氏は熱心な仏教徒。氏は物語の核として「憎むな。殺すな。許しましょう」の3原則を堅持。悪辣非道な敵に対し、結びの場面
で月光仮面は辛抱強く改悛を求める。
 往時、それを歯痒く思ったものだが、月光仮面の正体、そのモデルを辿ることにより、このたび半世紀を経て初めて納得出来たのでした。
 今号はここで擱筆、次号完結。

宮前の風18号・2014.7 文・坪井喬)

【注意】掲載記事は、取材時のもので内容がかわっている場合があります。