しばられ松(神木) その歴史が語る「松」

 梶ヶ谷駅前から向ケ丘公園へのバスルートの途中に、「神木」とか「神木本町」とかの町名がある。その町名の由来が何か常々気にかかっていたが、どうやら「しばられ松」にあるのではないかと思い至った。「しばられ松」というのも奇妙な命名だ。そこで4月1日、桜花が満開となったばかりの、風の強い日に「しばられ松」を訪ねた。
 梶ヶ谷駅前でバスに乗り、「しばられ松」停留所で下車。停留所から道路を隔てた反対側に「しばられ松」がある。道路より数段盛土され、石段を上がると、「聖社」の扁額を掲げた石の鳥居があり、その奥に小さな祠がある。左に目を移すと、石碑があり、その後ろに、「ヘ」の字に曲がった、「しばられ松」が鎮座していた。完全に枯れており、太い幹は全体に異様にささくれだっている。石碑に記された「しばられ松 聖社の由来」によると、明治20年頃、雷に打たれ、焼け落ちて今日の姿になったとのことだ。
 落雷で枯木となる前の「しばられ松」の樹勢は、高さ5m、根回り3m余りある巨樹で、その梢は、以下に記す六部の出身地である相模の方を向いて生い茂っていた。この松が「聖松」と崇められたのは、その植樹の由来にある。
 昔、相模の国の或る六部(六十六部の経典を寺々に納める修行僧)がこの地で百日咳に苦しみ亡くなったと、また一説には、修行僧がこの地で穴の中で鉦を叩き念仏を唱えて修行していたが、「この鉦の音が止んだら死んだと思ってくれ」と言い残して死んだことから、この地に松を植樹した。生い茂るに従い、その異様な樹勢に植樹の由来を重ね、近在の人々は霊験あらたかなるものを覚えて「聖松」と崇めた。そして人々は、子供が百日咳に罹ると素縄を左に編んで「聖松」に縛り、治癒の願をかけた。病が治ると、右縄を編み幹に縛り直して願ほどきをしたという。「しばられ松」命名の由来である。
 落雷に打たれて枯木になりながらも、しっかりと根を張り、その姿は写真でご覧のとおり、一層「聖松」に相応しい。
 寒暖の波が次々と押し寄せて返す今年、「しばられ松」の傍らの桜の大木は、例年より遅れ漸くその日4月1日に満開を迎え、強風の中、「しばられ松」を守り抱くかのように覆い、凛と咲き誇っていた。(2010.4 文・坪井喬)
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