等覺院、神の木を探して(神木)

2012-4宮前区等覚院1.神の木 
 宮前区に引っ越してきて20年弱。この1両年、溝口駅前から聖マリアンナ医科大学病院に通ったり、梶ヶ谷駅前から川崎市岡本太郎美術舘を訪ねる際、バスは神木本町を通過する。
 最初、バス内のアナウンスがバス停名を告げるとき、「しゅぼく」と聞こえた。バス路線図にバス停「神木本町」があるが、「神木」の読みは通常「かみき」乃至は「しんぼく」。その後、「しぼく」と読むと知る。

 次の疑問は「神木」の由来となった樹木の存在。当初、「しばられ松」では?と思った、雷神に撃たれ裂かれた湾曲した幹の様が恰も神の業のようだと。しかし神木本町から離れている。
 「神木」は等覺院にあった。「しばられ松」から五つ目のバス停「神木不動」下車3分。等覺院の栞には、当地を神木と呼称する所縁が、《昔、日本武尊、東夷征伐のおり、疲労困憊し、はげしき渇きを、覚えたり、とき、たまたま鶴の舞い降りるのをみたまえり。鶴は水辺を好むものなれば、探ねてその水を飲む。疲労たちまち癒えて、英気まことに漲りたりと。武尊は、深く神助の霊水ならんと感じ、1本の木を植えしという。代々その木を神木と崇めたり。後に智証大師円珍(814-91)その神木を以て當本尊不動明王を刻みたりと伝ふ。通称この地を神木と言ふは、以上の因縁によるものなり。》と記されている。    

2012-4宮前区等覚院2.御本尊・不動明王、合祀・薬師如来
 等覺院は、山号を神木山、院号を等覺院、寺号を長徳寺と称する。素朴な疑問、寺号として長徳寺とあるのに、何故、「等覺院」と院号を使うのか。公称として、寺号ではなく院号をつかうのは珍しいと、住職の奥様に尋ねると、京都の「三千院」の例を挙げられた。 
 等覺院は、丘陵の山懐に位置する。
 等覺院の御本尊は、不動明王(1尺8寸)、秘仏である。関東三十六不動霊場第六番。また薬師如来を合祀する。天台宗に属し、比叡山延暦寺末。薬師如来は、もと日本橋茅場町の智泉院の御本尊だが、太平洋戦争の際、戦災を避けて当院に移された。智泉院は江戸城の東方にあり、徳川家康が江戸入府の際に再興し、「茅場のお薬師さん」として親しまれていた。本堂に入って左に、3.6mの巨大な不動明王像がある。天台宗開宗1200年に慶讃して制作、2007年4月28日に入仏開眼法要が執り行われた。
 昨年末そして年明け1月に等覺院を訪ねたときにも銅板屋根工事中であった。昨秋、山門の雨漏りが発見されたために。古色蒼然とした銅板屋根は、改修後の4月に一新するとのこと。山門の左右には、仁王尊が睨みをきかせていた。

2012-4宮前区等覚院3.緑を守る「つつじ寺
 等覺院は、4月中旬頃から2000本の躑躅(つつじ)が咲き誇り、別名「つつじ寺」と呼ばれ、神奈川花の名所百選、また関東花の寺百か所の札所にも選ばれている。また「ぜんそく平癒」「癌・當病平癒」などの祈願寺院として親しまれ「ぜんそく寺」とも呼ばれる。



2012-4宮前区等覚院 山門を出て、住職の奥様から、元は参道であったと教えられた左の道を進む。バス通りを越して更に進んだ突き当りの左手前に、「不動尊」と陰刻された、元参道の入口を示す参道があった。
 等覺院は、同院を取り囲む樹林を含めた緑地保全の協定(協定面積は2.5ヘクタール)を川崎市と結び、「緑を守る不動様」として重要な役割を果たしている。

宮前の風10号・2012.4 文・坪井喬)

【注意】掲載記事は、取材時のもので内容がかわっている場合があります。


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