薬師如来像160年ぶりの御開帳 泉福寺(馬絹)

2011-4泉福寺(宮前区馬絹)

160年ぶり御開帳の薬師如来像

 昨年10月15日、馬絹神社例大祭における神輿の第4番目の神酒所が泉福寺の境内、神輿の供をしてきて私は初めて同寺の存在を知った(本紙前第5号参照)。神輿がひととき鎮座したのが樹高15mの銀杏の巨木の傍らであった。美しい黄葉を纏った大銀杏を撮影するため晩秋に再び泉福寺を訪ねた。そのとき門前の掲示板に、薬師如来が12月21日から23日までの三日間、御開帳される旨の案内があった。
その12月23日、薬師如来を拝観するため三たび泉福寺を訪ねた。門を入ってすぐ右手の三佛堂が開放されていた。中に入ると、正面中央に薬師如来、向かって左に聖観世音菩薩、右手に千手観世音菩薩が鎮座しておられた。
 三佛堂内では、住職と檀家の方々が懇談されていた。住職のお話では、薬師如来の御開帳は160年ぶりとのことであった。三佛堂が平成13年に改築されてから最初の寅年に御開帳の運びになったのは、薬師如来と虎の深い縁に因む、と住職のお話であった。そして今後、御開帳を何年後にされるのか全く未定、そもそも御本尊とは秘仏であればこそ有り難く、例えば浅草寺の御本尊などはついぞ御開帳された記録がない、と。
2011-4泉福寺(宮前区馬絹)

黄葉の見事な大銀杏

 泉福寺の三佛堂本尊薬師如来は、泥中出現薬師如来縁起書によれば、嘉永元(1848)年5月の初め、当所の農民が集って用水掘の清掃中、泥中から異様な光を発し出現したと伝えられる。
 その用水は現在、何処を流れているのか尋ねると、「昔、この寺の傍を流れていたが今はない」と住職の傍らに座っていた檀家の方が言う。信州・善光寺の御本尊も川の中から出現した類似について述べると住職は、「本田善光(よしみつ)が難波の堀江で如来像を拾い上げ、信濃に持ち帰った。善光寺の寺号は、開山・善光から採られた」と話された。
読みは、「よしみつ」から「ぜんこう」となったが。
 三佛堂には、泉福寺秘蔵の二面の絵馬が開示されていた。二面とも川崎市重要歴史記念物に指定されている。
 一面は、「板面着色絵馬泉福寺薬師会図」で、墨書銘により嘉永七(1854)年制作と判明。画面のほぼ中央左寄りに大銀杏、その右奥中央に御開帳中の薬師堂本尊の薬師如来像が描かれている。薬師如来像の傍らには僧侶が描かれ、境内には、参詣の善男善女が描かれている。描かれた人数を二度、三度と数えてみると52人、集う境内の賑わいが伝わってくる。描かれた52人は、52とおりの表情が活き活きと活写されており、52人の配置も見事である。落款はないが、当代一流の浮世絵師の肉筆になるものと思われる。
2011-4泉福寺(宮前区馬絹)

板面着色絵馬泉福寺薬師会図

 泉福寺の寺号の由来について尋ねると、住職から「大銀杏の根元近くに、泉が湧いていたからです。ご覧の絵馬にも描かれているでしょう」との答え。改めて「板面着色絵馬泉福寺薬師会図」を目を皿のようにして見ると、確かに大銀杏の根元の手前に泉が湧き出ている様子が描かれている。
 もう一面は、「板面着色絵馬泉福寺境内相撲図」である。奉納相撲を描いたものだが、これが泉福寺境内における奉納相撲であると特定できるのは、画面の右端に大銀杏が描かれていることからによる。「春川画 安政四年巳年十月吉日 願主當所都倉氏」と墨書の銘文がある。安政四年は1857年。「春川」について、吉田暎二著『浮世絵事典』(画文堂刊)で調べたが、「春川」という絵師は存在したが、《安永年間(1772~1780年)に65歳で没》とあり、生きた年代が異なり、残念ながら別人であった。
2011-4泉福寺(宮前区馬絹)

板面着色絵馬泉福寺境内相撲図

 泉福寺境内で相撲が奉納されたことについて住職のお話では、「昔は、相撲興行は年間10日で、あとは全国を巡業して回り、好角家、タニマチのもとで興行したりした。そうしたタニマチが当地にいて、当寺の大銀杏の傍らに土俵をつくって奉納相撲をさせたのでしょう」とのことであった。
 絵馬に描かれた土俵は、俵で二重に円が描かれ、内側と外側の円の間、四囲に四本の太い柱が建てられ、そのうちの一本の柱には御幣と弓矢が括りつけられていて、まさに奉納相撲。土俵上では、相撲とりがガッチリと、力のはいった四ツ相撲を展開。裃姿の丁髷を結った行司の口からは「のこった!のこった!!」の掛け声が聞こえてくようであった。
三佛堂には、足の不自由な老母を車椅子にのせておいでになった家族が、敬虔に三佛をお参りするなど、次々と檀家の方がおいでになり、住職は懇切に応接されていた。そうした御多忙のなか、私の色々な質問にお答えいただき有り難かった。住職に厚く礼を述べ、三佛堂をあとにした。
 そのあと境内に設置の石碑等で泉福寺の来歴等概要を確認。以下、開基は年代不詳だが義天法印。中興は智賢法印[永正2(1505)年4月28日]。現在は30世。本尊は不動明王(武相不動尊霊場第23番札所)。阿弥陀如来と子育地蔵尊を相殿。境内堂宇薬師堂は安政4(1857)年に当所柴原弥右ヱ門居士の寄進で、本尊は泥中出現薬師如来。相殿の千手観世音菩薩は稲毛観音霊場の第25番、また聖観世音菩薩は第6番札所、云々。
 大銀杏の傍らの花供養塔については前回訪問時に惹かれ、耳慣れない供養塔なので、気になっていたことから先刻、住職にお尋ねし、「当地・馬絹は花卉栽培が盛ん、花の命で生計をたてている馬絹花卉生産組合の方々が花供養塔及び顕彰碑を建立された」旨伺った。平成15年8月17日に建立、以降毎年8月17日に花供養祭がとりおこなわれている。
 泉福寺の門を出て須臾、満開の蠟梅の花を見かけた。香り馥郁、十二月の開花は例年より早い。花は敏感、地球温暖化の影響だろうかと思いながら帰途についた。(坪井喬記)

宮前の風6号・2011.4 文・坪井喬)

【注意】掲載記事は、取材時のもので内容がかわっている場合があります。