宮前区観光協会5周年、観光協会・小泉顧問に聞く
【インタビュー】
宮前区観光協会は2007年6月23日に発足して以来、5周年を経てきました。この機会に、2月1日、本紙取材記者3人、青柳和美、坪井喬、渡辺寛美が、観光協会設立に多大に尽力した宮前区観光協会・小泉一郎顧問を訪ね、協会設立に至る経緯、また観光協会の今後の取組みについて伺いました。
1.宮前区観光協会誕生の経緯
記者「宮前区観光協会設立に至る経緯についてお伺いします」
小泉顧問「川崎市観光協会の斎藤文雄さんから『市内の他の区にはあるが、宮前区だけには観光協会がない。考えてくれませんか?』と言われたのが発端です。それから2年、各種団体の長など24人が発起人となり観光協会設立の準備会を立ち上げ、当時の大下区長さんなど区役所の方々と相談するなどしました。観光協会のメンバーには、われわれ農業関係者より多くは商店会関係者にやってもらったほうがよいと、『住んでよし、訪れてよし』の考えをもとに進めていくこととし、平成19(2007)年に発足しました。近年、少子化が叫ばれ人口減少が憂慮されていますが、宮前区民は年々歳々、人口が増えています。平均年齢も全国的にみて若い。大都市のベッドタウンとして人口流入が多い所為もありますが、それも暮らし易い人気の地域だからと思います。観光協会としてもより一層、魅力的な地域づくりに努めていかなくてはなりません。観光協会メンバーも商店会関係者のほか、他の分野の方々にも参加して頂くとよいですね」
2.観光協会の活動、今後の取組み
記者「これまでの観光協会の活動、今後の取組みについてお伺いします」
小泉「平成24年度でみると、①『宮前区観光ガイドの会』と連携したウォークイベントの実施、②区民祭への参加、③宮前区誕生30周年記念協賛事業の実施、④観光協会ホームページの運営、⑤区内開催の各種イベントへの協力、それから宮前区観光情報記者の皆さんの観光情報収集による『宮前の風』の発行などですね。『宮前の風』では、宮前区の歴史とか見どころとかお店とかを紹介しているが、こういう広報紙は他の区にはなく、素晴らしい。同紙では今後、区内にたくさんある坂、そこに秘められた物語など紹介していくとよい。また、区内には昔話も多く、埋もれつつある話もあるので、それらを掘り起こし、記録にとどめおくことにより、一層宮前区への関心と理解が深まっていくことと思います」
3.埋もれつつある歴史の伝承
宮前区内の歴史の伝承との観点により小泉顧問から、野川小学校にまつわる次のような感動的な、お話も伺いました。
小泉「明治6(1873)年に日本最初の学校制度、学制が定められ、その年、野川には盛隆小学校(野川小学校の前身)が開校しました。ところが、大正3(1914)年、1村1校と定められ、そのため、宮前村には小学校が2校あったことから、宮前村尋常小学校に合併され、盛隆小学校は廃校という局面に陥りました。そのとき地域住民が団結して、廃校反対、盛隆小学校存続の存続を強く訴え、その結果、遂に宮前村立宮前尋常小学校野川分教場というかたちで、小学校存続を勝ちとったのです。野川小学校が昭和48(1973)年に創立100周年を迎えたとき、私はPTA会長をしていて、そういう小学校史に感動を覚えた記憶があります。これは1例ですが、ほかにもこうした区内の歴史が沢山埋もれていると思います。それらを掘り起こして次の世代に伝えていくのも観光協会の役割だと思います」
記者「観光的な観点からみた名所旧跡が区内には色々ありますね」
小泉「その第一が影向寺でしょう。影向寺の薬師三尊像は現在、重要文化財ですが、明治33(1900)年には国宝の指定を受けていたのです。それが、昭和25(1950)年施行の文化財保護法により国宝を外され、重要文化財の指定と格下げされてしまいました。歴史的にみても造型的にも国宝に値いします。影向寺さんは長年、国宝指定の署名を募り、多くの方々の賛同を得ています。私も、観光協会としても、国宝指定に取組んでいきたいと考えています。影向寺をはじめとして区内には沢山の、歴史的に重要な神社仏閣、そして遺構・遺跡があります。これらを区内外に広く周知していく、これも観光協会の役割です。その点、『宮前の風』では色々と取組んでいただいているが、今後もおおいに期待しています」
小泉顧問の宮前区観光協会への熱い思い、宮前区発展への強い思いを、ご多忙のなか2時間にわたりお話を伺いました。
【注意】掲載記事は、取材時のもので内容がかわっている場合があります。