創立140周年川﨑市立野川小学校を訪ねて(野川)

 創立140周年記念式典を2013年11月2日に開催した川崎市立野川小学校(宮前区野川1269)の歴史を知るため、同月12日に小学校を訪問しました。卒業生でもあり元PTA会長の宮前区観光協会・小泉一郎顧問、中川久資校長先生、笹田美知子教頭先生を本誌取材記者坪井、渡辺、青柳が当小学校で取材しました。

取材風景

取材風景

記者一同「創立140周年おめでとうございます」
 
廃校の危機乗り越えた力   
記者 「開校時はどんなでしたか」
小泉顧問 「明治5年 “学制発布”が公布され、明治6年に梶が谷村の西福寺にお堂を借りたのが野川小学校の始まりで『盛隆学舎』が出来ました。その後、明治8年に『盛隆学校』と名を変え場所も今の学校の裏に校舎を建てました。学校のシンボル『くすのき』は、その時に青木じんのじょうさんが校庭に苗を植えられました」

記者 「その木が現存しているのですね。すごいですね」と記者一同、感動しました。   
小泉顧問 「そうです。その後の拡張に伴い何回か移植して今の場所で立派に育ち、いつも見守ってくれています。100周年のPTA会長当時、自らも移植致しました。動かす時には心からお祈りをしてお浄めもしました」
記者 「“一村一校”と、その後はどうでしたか」
小泉顧問 「明治22年隆盛小学校に改称後、大正3年にその制度が出来た時に馬絹の鳴鶴(めいかく)学校と合併して宮前村立(みやさきそんりつ)尋常小学校となりました。廃校の危機で野川村の住人は、“学校が無くなることは野川村が無くなると同じ”と日々、人々は存続のために奔走し群長さんに西福寺に来ていただき直談判をしました。こんなに教育熱心な所はないと理解していただき宮前村立尋常小学校野川分教場となりました。児童は1年生から6年生までいて入学式や卒業式に校長先生が来られ、道具も本校と同じものを使うなど実をとった独立校の扱いでした。今日もこうした学校、郷土を愛する人々の様子が語り継がれています。本当に素晴らしい事です。その後、川崎市立宮崎国民学校分教場、川崎市立野川国民学校となり昭和22年に川崎市立野川小学校になりました。当時の児童数は368人でしたが東急の開発が進み、年々増加してPTA会長時のピークには2,000人位いました。教室が足らずプレハブを建てたりしていました。その後久末・梶ヶ谷・南野川・西野川小学校が分離独立して児童数はそのつど減少しました。分離独立用地探しも大変でした」

地域力と学校、それは…
記者 「現在の児童数、地域に関わる学習はありますか」
笹田教頭 「全児童数809人、4~5年位前は1,000人前後でしたが年々少しずつ減少傾向にあります。3世代にまたがり通学している児童もおります。
パソコン授業では、全児童が学年別のスケジュールに合わせて学習しています。習得の速さに驚くことがあります。地域学習では、地域に残る民話や野川カルタを使い地域を調べ歩き、まち探検、福祉学習での施設との交流、環境や史跡など各学年別にテーマを決めて学習しています。学年で2グループに分けて年2回の広域清掃もやっています。他にも関わる事で地域のお世話になっています」 
記者 「生徒への思いを教えてください」
中川校長「学校教育目標“かしこく やさしく たくましく”知・徳・体を基本に知識や技能を教える学習を学校で、心は共に学校や家庭、地域でと思います。私達は、これからも児童一人ひとりを大切にして元気にすくすくと育ってくれればと願っています」
記者 「学校と地域環境についてお伺いします」
中川校長「地域のみなさんが抱く教育力、熱心さに感動しました。『おらが村のおらの学校』そんな意識の強さを感じます。輝かしい歴史のある学校です」
笹田教頭「私もそう思います。退任された元PTA役員の方に、今も水曜日に周辺の雑草取り、花植え等ボランティアをしていただいています。学校は自分たちの学校、何時までも素晴らしい学校でいてもらいたいと願う愛校心に感謝します。他にもたくさんの素晴らしい事があります。地域の行事に参加させていただきいつも温かく迎えていただきます」

体育館に掲出してある「くすのき」の絵

体育館に掲出してある「くすのき」の絵

感謝と感動のなかで
記者 「記念式典・祝賀会のお話をお聞かせください」
笹田教頭 「200人弱の来賓の方をお迎えしての式典、学年ごとの出し物で自画自賛ではないけれど、児童は輝いていました。最後に全員で、『嵐』の持ち歌『ふるさと』を歌いました。感動的で本当に素晴らしかったです。式典を開催するにあたり野川の地域力の大きさに感動し感謝しました。それぞれ委員会を設けて地域の方にも参加していただきました。非常に協力的で実務でも積極的にやっていただきました。『自分たちの式典』と思ってやっていただいた感じがしました。10年ごとにこのような式典を開く、やはり『地域の力』が大きいと思います」
中川校長「野川の地域力は大きいものです。感動的な素晴らしい式典になりました。皆さんに心から感謝いたします。
小泉顧問「実行委員、PTA、先生方の皆さんに本当に一所懸命やっていただきました。先生のアイデアで画用紙を何枚も貼り合わせた大きなシンボル『くすのき』の絵。太く大きく伸びた幹を先生が描き、全児童一人ひとりの手形を葉にした本当に素晴らしいものです。感動しました是非帰りにご覧ください」
 

140年、今日もみんなを見守り続けています

140年、今日もみんなを見守り続けています

 取材が終わり、体育館に掲出されている『くすのきの絵』を見せていただきました。大きく伸びた幹、一人ひとりの思いが詰まった手形の葉、それはどっしりと力強く天に伸びる大作でした。見て本当に感動しました。
 玄関を出ると、授業が終わり帰宅する元気な児童たちに会いました。楽しそうに話している児童たちから「こんにちは」と挨拶されて大感激しました。新鮮で爽やかな空気の漂いを感じ学校を後にしました。
地域と共に歩んでいる長い歴史の輝かしい校歴、これからも永久に伝承されてゆくことでしょう。

宮前の風16号・2014.1 文・青柳和美 写真・坪井喬)

【注意】掲載記事は、取材時のもので内容がかわっている場合があります。